編集会議で、企画書の通り方が変わった3つの小さなコツ
編集会議で、企画書の通り方が変わった3つの小さなコツ
入社して3年目になって、自分が出す企画書の通り方がちょっと変わってきた。
1〜2年目のころは10本出して1本一次通過すれば良いほうで、ほとんどは「面白いけど、いまうちでやる必然性が薄い」みたいなフィードバックで終わってた。最近は2回連続で一次通過したので、自分でもびっくりして、なんでだろうって考えてた。
考えてみたら、企画の中身そのものは1〜2年目のころとそんなに変わってない。私が変わったのは、企画書の「中身じゃない部分」だった気がする。
それが3つくらいあって、書き出してみたら自分でも整理になったので、ここに残しておく。たぶん編集業界以外の人にも、ちょっとは役に立つかもしれない。
1. A4一枚におさめるけど、その一枚の余白を残す
うちの編集会議に出す企画書は、A4一枚って決まってる。タイトル、企画概要、想定読者、類書、想定部数、刊行時期、編集担当の見立て。基本フォーマットは決まってて、若手はだいたいそれを埋める。
1〜2年目のころの私は、その一枚を、文字でぎっしり埋めてた。
情報量で勝負しようとしてたんだと思う。想定読者は3層に分けて書いて、類書は5冊くらい挙げて、編集担当の見立てのところに自分の熱意を全部詰め込んでた。読んでくれる編集長や部長が「情報が多くて頼もしい」って思ってくれることを期待してた、というか。
でも3年目に入って、ちょっと逆をやってみた。
A4一枚の半分以上は余白にして、書く内容を絞った。タイトルと、想定読者を1行、類書を2冊、想定部数を初版だけ、編集担当の見立てを3行。それだけ。
そしたら、なんか会議の場で発言の時間が長くなった。
紙が情報で詰まってると、会議中に読み込む時間が必要になる。読み込んでる間に、企画書を出した人の口頭での説明は、紙の補足みたいになっちゃう。
紙が薄いと、その場で説明を聞かないと判断できない。だから自然と「これってどういう企画?」って質問が来る。質問が来るっていうことは、興味を持ってもらえてるってことで、こちらの説明する時間が増える。
紙で全部説明するんじゃなくて、紙で会話のきっかけを作る、っていう感じに変えた。これがたぶん1つ目のコツ。
2. 類書は「同じジャンルで売れた本」じゃなくて、「同じ読者が買う別ジャンルの本」を入れる
これは入社1年目の自分に教えてあげたい、って思う。
類書って欄があるから、若手はつい「同じジャンルで売れた本」を書く。ミステリの企画ならミステリの売れ筋を、エッセイの企画ならエッセイの売れ筋を。これは間違いじゃないんだけど、編集長と部長は、そういう類書はもう全部知ってる。書いたところで、「うん、それはそうだね」で終わる。
3年目になってから、類書の欄に「同じジャンルで売れた本」と「同じ読者層が買ってる別ジャンルの本」を1冊ずつ入れるようにした。
たとえば、20代後半の働く女性向けのエッセイ企画なら、類書の1冊目に同ジャンルのエッセイを置いて、2冊目に「同じ読者が買ってそうな文芸書」や「料理本」を置く、みたいな。
これをやると、会議の場で部長から「なんでこれを類書にしたの?」って聞かれることがあって、そこで自分の見立てを話せる。
「この層の読者は、エッセイだけ買ってるわけじゃなくて、生活全体を整える本を買ってる気がしてて、その文脈にうちの企画を置くと、棚での見え方が変わると思うんです」みたいな話を、その場でする。
これは1〜2年目には絶対できなかった。なぜかというと、読者層に対しての見立てを言葉にするのに、私自身が3年くらいかかったから。本を売る現場の感覚は、書店に通って、棚を見て、自分が客のときの財布の動き方を観察して、ようやく身につく。1年目の私には、そういうストックがまだなかった。
3. 「私はこれを売りたい」を、最後の1行で素直に書く
これがいちばん変えるのに勇気がいったコツで、いまも書くたびに少し緊張する。
企画書の最後、編集担当の見立てを書く欄に、私はいつも「うちで刊行する意義」とか「販売予測」とかを書いてた。客観的に企画の価値を説明する文章。会社で出す企画書なんだから当然、と思ってた。
3年目に入って、その最後に1行だけ、「私個人としては、この本が出たら自分でも読者として欲しいです」とか、「この企画を担当できるなら、ぜひやりたいです」みたいなことを書くようにした。
これ、書くときに恥ずかしい。自分の主観を会社の企画書に混ぜるのは、なんか公私混同みたいで。
でもやってみたら、会議で部長が「で、加藤さんはなんでこれをやりたいの?」って聞いてくれることが増えた。聞いてくれるっていうことは、私の主観を判断材料に入れてくれてるってことで、それまでは「客観的な企画書」で終わってた紙が、「私という編集アシが推してる企画」に変わった気がする。
担当が誰かによって企画の見え方は変わる、っていうのは、編集の世界では当たり前のことらしい。ベテランの編集長たちは、企画書を読むときに、誰がそれを担当するつもりかを最初に見てる。私の名前が書かれた企画書に、私という人がついてくる。それは見えないけど、紙の上にちゃんと乗ってる。
だから、私の主観を1行入れるのは、その「私という人」を可視化する作業なのかもしれない、っていまは思ってる。
それでも落ちる企画はあって
ここまで3つ書いたけど、これで企画が必ず通るかっていうと、ぜんぜんそんなことはない。
私自身、いまだに10本出して通るのは2〜3本だ。1〜2年目の10分の1から少し増えただけ。最終的には企画の中身がいちばん大事で、形式のコツは、その中身を伝える効率を少し上げてくれるだけだと思う。
ただ、若手のころは中身を磨くことばかり気にして、形式を軽く見てた。形式は「型を守るためのもの」って思ってたから。
3年目になって、形式は「型を守るためのもの」じゃなくて、「相手に届けるための仕掛け」だっていうことに、少しずつ気づき始めた気がする。これは編集の仕事じゃなくても、たぶんなんの仕事でも同じなんじゃないかと思う。
うまく言えないけど、若手のころの自分が読んでも、たぶん「ふーん」って思うだけで、実感までは届かないと思う。実感って、自分で何回も失敗して、ようやくついてくる。だからこの記事も、いつかの誰かが「あ、これか」って思うときが来るかもしれないし、来ないかもしれない、っていうくらいの感じで書いてる。
明日も企画書を1本書く予定で、いまリビングの机の上にメモが散らばってる。
なつめが机の上のメモの上に座って動かない。たぶん私の集中をブロックしてくれてる。ありがたいような、困るような気がしてる。