鍼を構える前に一度だけ呼吸を聞く、を続けてきた4年の記録
鍼を構える前に一度だけ呼吸を聞く、を続けてきた4年の記録
鍼を構える前に、一度だけ患者さんの呼吸を聞く。
これを開業の最初の日から、4年続けている。やらない日はほとんどない。ある日、家に帰って妻のNに「これってなんでやってるんだろう」と話したら、よく覚えてないけどとにかく続けてる、と自分でも答えに困った。せっかくなので、4年ぶんを振り返って整理しておきたい。
最初に断っておくと、これは何かの流派の作法ではない。
鍼灸学校で習ったわけでもないし、修業先の先生が必ずやっていたわけでもない。たぶん、開業の不安が大きすぎて、なにか自分のための「印」が欲しかったのだと思う。鍼を持つ前に、目をつぶって、患者さんの呼吸の音を3秒くらい聞く。それだけ。
1年目:自分の手のためだった
開業1年目は、この儀式は完全に自分のためだった。
鍼を持つ手が震えるのが嫌で、その前に一拍置く時間が欲しかった。患者さんの呼吸を聞くというより、自分の呼吸を整える時間だった。だから、聞いている「ふり」をしていた、と言ったほうが正確かもしれない。
それでも、続けるうちに、自分の手の温度が下がりすぎていることや、肩に余計な力が入っていることに気づくようになった。
目をつぶって3秒置くだけで、その日の自分の身体の状態がだいたい分かる。これは予想していなかった副作用で、儀式を始めて3ヶ月くらいで気づいた気がする。
1年目の終わりごろは、儀式の意味が自分の中で曖昧になっていた。
やらなくてもいいかもしれない、と思った日も何度かあった。ただ、やめるきっかけがなくて、続けていた。
2年目:患者さんを観る時間に変わった
2年目に入ったあたりから、儀式の意味が少し変わった。
3秒の間、患者さんの呼吸を本当に聞くようになった。聞いていると、その日の患者さんの状態がうっすら分かる。胸式が強い日、腹式が深い日、入ってくる時の呼吸より浅くなっている日。
これは触診で確かめるよりも先に、見立ての方向を決める助けになった。
呼吸が浅い方には、最初の鍼を浅く入れる。深い方には、もう少し奥まで入る針を選ぶ。これも誰かに習ったわけではなく、続けるうちに自然とそうするようになった。
2年目の終わりに、開業時から続いている儀式を意識して書き出してみたとき、これだけが残っていた。
朝の素問の音読は途切れた時期がある。掃除の手順も少しずつ変わった。ただ、鍼を構える前の3秒だけは、休んでいない。たぶん、これがないと鍼を打てなくなっていた気がする。
3年目:施術中の微調整に効いてきた
3年目に入ると、儀式の意味がさらに変わった。
3秒の間に取った呼吸の情報を、施術中ずっと使うようになっていた。鍼を入れて、響きを取ろうとするとき、最初に聞いた呼吸のリズムに合わせて、鍼を動かす速度を調整する。これは言葉にすると大げさだけれど、実際には半分くらい無意識でやっている。
このあたりから、儀式は「自分のため」でも「観察のため」でもなく、施術そのものの一部になっていた。
鍼を構える前の3秒は、施術の最初の一手で、もう独立した動作ではなくなっていた。
3年目の冬に、霊枢の「経気を察し、左手にそれを得る」というような一節に、半年ぶりに線を引き直した。
たぶんあの3秒のことを、古い時代の人もやっていたのだろう。書き方は違うけれど、やっていることはそんなに変わらないのかもしれない、と思った。古典を読むのは好きだが、こういう瞬間が一番気持ちがいい。
4年目:やらないと自分が崩れることに気づいた
4年目に入ったある日、たまたまその儀式をやり忘れて鍼を構えたことがあった。
朝、ちょっと急いでいて、患者さんが入ってきたところで挨拶をして、そのまま手順を始めた。鍼を入れる直前、自分のなかで何かの音がしないことに気づいた。違和感の言葉にならない感じ。
その日は、施術がいつもよりわずかにぎくしゃくした。
患者さんは何も言わなかったし、ほんとうに違いがあったのかは分からない。ただ、私のなかでは違っていた。
その日から、4年目の儀式の意味がまた変わった。
これはやれば何かが上乗せされるものではなく、やらないと自分が崩れるもの、になっていた。プラスではなくマイナスを防ぐ動作。考えてみれば、現場監督だった頃の朝礼も、似ていたかもしれない。やったから事故が減るというより、やらないと自分の段取りが崩れる、という性質のものだった。
ひとつだけ変わらないこと
4年で意味は4回くらい変わったけれど、動作そのものは変わっていない。
目を閉じる、3秒、呼吸を聞く、目を開ける、鍼を取る。所要時間はたぶん5秒以内で、患者さんから見れば一拍置いただけのことだ。
ひとつだけ変わっていないのは、玄関の三和土の段差を上がってから、治療室に入る前に、自分の呼吸も一度聞いていることだ。
4年前と同じ場所で、同じ動作をしている。ここで自分の呼吸を整えてから、患者さんの呼吸を聞く準備に入る。儀式の儀式、みたいなものかもしれない。
5年目に入っても、この動作は続けると思う。
そのうちまた意味が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。続けることに意味があるのではなく、続けていると意味のほうが変わってくる、ということなんだろう。たぶん、そういうものだろう。