「分からない」を3種類に分けて、声かけを変えてきた半年

「分からない」を3種類に分けて、声かけを変えてきた半年

中学受験算数を教えていて、生徒からいちばん多く聞く言葉が「分からない」だ。
塾講師になって5年目になるが、この一言にどう返すかは、いまだに毎回考える。

去年の秋ごろまで、私は「分からない」と言われたら、まず解法をもう一度説明する、というのを反射的にやっていた。生徒のためというより、自分の不安を埋めるために説明していた節がある。沈黙が怖かった。説明している間は、講師として何かしている気になれる。

ただ、説明し終わったあとに生徒が「やっぱり分かりません」と返してくる回数が、6年生のクラスを持ち始めてから明らかに増えた。同じ説明を二度されて、また分からないと言わざるをえない生徒の側のしんどさを、私はあるとき急に想像してしまって、そこから半年、声かけを変えるための分類づくりをノートに書きためてきた。

これは私個人の整理であって、教育心理学の理論ではない。ただ、現場で半年使ってきて、自分の中では指導の解像度が一段上がった感覚がある。同じように悩んでいる若手の講師がいたら、参考にしてもらえる部分があるかもしれない。

「分からない」を3種類に分けた

整理してみると、私が生徒から受け取っている「分からない」は、次の3種類に分かれていた。

種類中身典型的なサイン
① 知識欠落型単元の前提知識が抜けている比の問題で「内項の積」を知らない / 速さで「時速→分速」の換算が止まる
② 手順崩壊型知識はあるが、解く順番が組めない線分図を書けるが、どこから埋めるかで詰まる / 場合の数で「樹形図はかけるが数え漏れる」
③ 読解放棄型問題文を最後まで読まずに「分からない」と言う設問の指示を一行飛ばす / 「全部で何個」を「1つあたり何個」と取り違える

最初は2種類で済むと思っていた。ところが、半年間の指導メモを並べてみると、③の読解放棄型がはっきり別の存在として浮き上がってきた。①と②は生徒の中で何かが起きているが、③は問題文との関係性で起きている、という違いがある。

声かけを、3種類に対して変えてみた

これも表にまとめておく。半年使ってきて、いまの私が標準にしている声かけだ。

種類旧来の私の声かけ変えたあとの声かけ
① 知識欠落型「もう一度説明するね」「ここの単元の、どの言葉が初めて見た感じだった?」
② 手順崩壊型「最初から一緒に解こう」「線分図、どこまで書けてる? 書けてるところまで見せて」
③ 読解放棄型「問題文をよく読んで」「設問の最後の一文を、声に出して読んでみて」

旧来の声かけは、3種類全部に同じ説明モードで対応していた。変えたあとは、それぞれの「分からない」を別のものとして扱う、という方針に切り替えた。

①の知識欠落型では、説明をいきなり始めない。「初めて見た感じの言葉」を生徒に指さしてもらうところから始める。指さしてもらえると、私の側にも何を補えばいいかが見える。指さしてもらえないとき、つまり「全部分かるけど解けない」と言うときは、たいてい②の手順崩壊型だ。

②の手順崩壊型では、生徒が書いているノートを見せてもらうのが最短ルートだった。線分図や面積図のような図解法は、6年生の算数の中核なので、書けるのに止まる生徒が多い。書けているところまで一緒に確認すると、図の中の「次にどの線分を引くか」で迷っているケースがほとんどだった。図の続きを、生徒に鉛筆を持たせたまま私が指で示す、というのが半年間でいちばん使った手法になった。

③の読解放棄型は、私のなかで一番悩ましかった。「よく読んで」と言われた経験は、たぶんどの受験生にもあるが、これがほぼ機能していない。本人としては読んでいるつもりだからだ。

「設問の最後の一文を声に出して」と言うようにしたら、これは効いた。声に出して読むと、自分の中で取りこぼしていた語に物理的に気づく。「合計で何個ですか」を「合計」と読まずに「何個」だけ拾っていた、というような取りこぼしが、声を出すと自分で気づける。半年で十数回試したが、9割は声に出した瞬間に生徒の表情が変わって、「あっ」と言って解き直しが始まる。

想定外だったのは、生徒の側の語彙が増えたこと

3種類に分けたのは、私の側の都合だったはずだ。
ところが、半年やってきて気づいたのは、生徒の側の「分からない」の言い方が、結果的に変わってきたことだった。

たとえば、いまうちのクラスの6年生のYくんは、「先生、これって解き方は分かるんですけど、線分図のどこから引けばいいか分かんないやつです」と言ってくる。これは半年前のYくんは絶対に言わなかった言い方だ。半年前は「分かりません」だった。

私はYくんに3種類のうちのどれかを名乗らせる訓練はしていない。していないのに、声かけが変わったことを通して、Yくんは自分の「分からない」の中身を細かく言語化するようになっていた。これは半年前の私が想像していなかった効果で、いまでも、不思議だなと思っている。

同じ6年生のHさんは、もっと素直に「設問の最後を読み飛ばしました」と申告してくるようになった。最初は私が指摘していたのを、自分で気づけるようになった。これも半年前は「読みました」と言い張っていた子だ。

3種類に分けたのは整理のためだったが、結果的に、生徒の側に「自分の分からなさを観察する語彙」を渡していたらしい。これは指導書には書いていなかった発見で、私は半年間つけてきたノートを見返して、ようやくその構造に気づいた。

今のところ、自分なりの結論

ここまで書いてきて、結論というほどのものはない。
ただ、塾講師になった頃の私は「分からない」を一塊で扱っていて、いまの私は3塊で扱っている。それだけのことだ。3塊に分けたから生徒が伸びた、と言いたいのは少し違う。たぶん、3塊に分けて声かけを変えたことで、私の側が説明モードに逃げなくなった、というのが本当のところに近い。

説明モードは、講師にとって楽だ。
口を動かしていれば、生徒に何かを与えている気になれる。ところが、生徒の側からすると、説明される時間というのは、自分の中で起きていることを観察する余地が奪われる時間でもある。私が3種類に分けて、最初に「指さしてもらう」「ノートを見せてもらう」「声に出してもらう」を入れるようにしたのは、結果として、生徒の中で起きていることに、私が口を出さない時間を作る工夫だった。

今期もこの方針で行くつもりだ。
ただ、4種類目があるんじゃないか、という疑いは持ち続けている。半年ぶんのメモを並べていると、3種類のどれにも当てはまらない「分からない」が、たまにある。それが何なのかは、まだ言語化できていない。来期、もう半年見てから、また書き直すかもしれない。

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