山村暮鳥『風は草木にささやいた』を読みながら

山村暮鳥『風は草木にささやいた』からみるAI時代と人間の「力」

こんにちは、もちもちずきんです。

今回は山村暮鳥の『風は草木にささやいた』を読んでいます。読みかけですが、その話をしたいと思います。

著者および詩集について

山村暮鳥という人物

山村 暮鳥(やまむら ぼちょう、1884年(明治17年)1月10日 - 1924年(大正13年)12月8日)は、明治・大正期の日本の詩人、児童文学者である。本名、土田八九十(つちだ はくじゅう)、旧姓は志村。
自由詩社に入り詩壇に登場。情調的な象徴詩から前衛詩に転じ、晩年は平易な表現の人道主義的作風になった。詩集に『聖三稜玻璃』(1915年)、『風は草木にささやいた』(1918年)、『雲』(1925年)など。
wikipediaより

1884(明治17)年、群馬県榛名山麓の棟高村(現群馬町)に生まれる。本名、土田八九十。築地の聖三一神学校時代に文学に開眼、卒業後伝道師となって秋田、仙台、水戸等を転任、詩と宗教活動に没頭。先鋭な感覚表現で注目をあび、朔太郎・犀星らと「卓上噴水」「感情」で交流。第二詩集『聖三稜玻璃』の悪評、結核、失職、流浪と、不遇の日々を送る中で詩や童話・童謡を創作、人道的な作風を経て、晩年は温かい自然賛歌を平易な言葉で綴った。1924(大正13)年40歳で没。代表作に詩集『風は草木にささやいた』『雲』、童話集『ちるちる・みちる』などがある。(泉井小太郎)
青空文庫より

有名な作品だと「いちめんのなのはな」が続く『風景 純銀もざいく』でしょうか。

『風は草木にささやいた』

この詩集は大正13年に初版が発行された詩集です。

初めのページのインパクト

この本を開くと、最初のページに以下のような詩が書かれています。まず、読んでいただこうと思います。

  此の書を祖國のひとびとにおくる

  なんぢはなんぢの面に汗して生くべし

  人間の勝利

人間はみな苦んでゐる
何がそんなに君達をくるしめるのか
しつかりしろ
人間の強さにあれ
人間の強さに生きろ
くるしいか
くるしめ
それがわれわれを立派にする
みろ山頂の松の古木こぼくを
その梢が烈風を切つてゐるところを
その音の痛痛しさ
その音が人間を力づける
人間の肉に喰ひいるその音ねのいみじさ
何が君達をくるしめるのか
自分も斯うしてくるしんでゐるのだ
くるしみを喜べ
人間の強さに立て
耻辱はぢを知れ
そして倒れる時がきたらば
ほほゑんでたふれろ
人間の強さをみせて倒れろ
一切をありのままにじつと凝視みつめて
大木たいぼくのやうに倒れろ
これでもか
これでもかと
重いくるしみ
重いのが何であるか
息絶えるとも否と言へ
頑固であれ
それでこそ人間だ

  自序

 自分は人間である。故に此等の詩はいふまでもなく人間の詩である。
 自分は人間の力を信ずる。力! 此の信念の表現されたものが此等の詩である。
 自分は此等の詩の作者である。作者として此等の詩のことをおもへば其處には憂鬱にして意地惡き暴風雨ののちに起るあの高いさつぱりした黎明の蒼天をあふぐにひとしい感覺が烈しくも鋭く研がれる。實まことにそれこそ生みのくるしみであつた。
 生みのくるしみ! 此のくるしみから自分は新たに日に日にうまれる。伸び出る。此のくるしみは其上、強い大膽なプロメトイスの力を自分に指ざした。遠い世界のはてまで手をさしのべて創世以來、人間といふ人間の辛棒づよくも探し求めてゐたものは何であつたか。自分はそれを知つた。おお此のよろこび! 自分はそれをひつ掴んだ。どんなことがあつても、もうはなしてやるものか。

 苦痛は美である! そして力は! 力の子どもばかりが藝術で、詩である。

人間の強さ

人間の強さにあれ
人間の強さに生きろ

この詩は『人間の勝利』というタイトルで書かれ、人間の「強さ」というものを描いています。

次に、「なんぢはなんぢの面に汗して生くべし」とあります。

私はこの「人間の強さ」が努力そのもののことを指しているように考えます。

自分は人間である。故に此等の詩はいふまでもなく人間の詩である。

この時代に書かれた詩はおそらく例外なく「人間の詩」であり、詩を書けるのは人間だけだったはずです。その時代において「人間の詩」であることをあえて明言して文章を始めています。

自分は人間の力を信ずる。力! 此の信念の表現されたものが此等の詩である。

この詩集には「人間の力」が描かれています。人間の力、人間の力です。あえて「人間の」力と書いている。

これはなかなか力強いです。特にAIが人間の文章を出力できるようになった 世の中において読み直す価値があると思いました。

苦痛は美である! そして力は! 力の子どもばかりが藝術で、詩である。

ここで藝術が力であり、人間の力は苦痛から生み出され、それは美であると読めます。

つまり藝術というのは、人間にしか生み出すことができないと言われていると私は思いました。

憂鬱な大起重機の詩

詩集を読んでいるにあたって特に印象に残った詩の一つとして『憂鬱な大起重機の詩』です。

  憂鬱な大起重機の詩

ぐつと空中に突きだした
腕うでだと思へ
いま大起重機は動いた
重い大きなまつ黒いものをひつ掴んで
それを輕輕と地面から空中へひき上げた
微風すらない
此の靜謐をなんと言はうか
怖しいやうな日和だ
蟻のやうに小さく
大きな重いものの取去られたところに群がつて
うようよ蠢動うごめいてゐる人人
大起重機のたしかな力をみろ
その大浪のやうな運動を
その大きな沈默を
ああ大起重機の憂鬱!
ああ大起重機の怪物!
此の不可思議な怪力に信頼しろ
それの動いて行く方向をみつめて大空を仰いでゐる人人
それを据附けたのは何ものだ
それをこしらへたのはどの手だ
それを考へれば
ああこれは人間以上の人間業わざだとすぐ解ることだ!
人間は自然を征服した!
今こそ人間は一切の上に立つべきだ
太陽も眩暈めくるめくか
ああ人間は自然を征服したか
ああ
けれど人間は悲しい
此の大起重機にその怪力を認めた瞬間から
まつたく憐れな奴隷となつた
そして蟻のやうに小さくなつた
それがどうした
それがどうした
かんかん日の照る地球の一てんに跪坐ひざまづいて此の大怪物を禮拜しろ
ああ此の憂鬱な大起重機の壯麗!
ああ此の憂鬱な大起重機の無言!

時代背景の考察

こちらは私の推測ですが、 暮鳥は1884(明治17)年生まれであり、蒸気機関が日本に持ち込まれ、急速に近代化が進んだ時代でした。
そうした中で人間がせっせと行っていた工業は、人間の肉体的な力は、蒸気機関による圧倒的な威力を前にしていたのではないかなと思っています。

そうした圧倒的な非人間的な力を目前にする現状というのはAI、とりわけLLMによって、今も起きているのではないでしょうか。

AI時代と『憂鬱な大起重機の詩』

私が中学校の時代にも同じような言説は蔓延っていました。

「機械翻訳があるんだから英語の勉強なんてしなくていい」
「電卓があるんだから算数とかやる必要あるの?」

そうした「憂鬱」が今はもっと大きいのではないかなと思っています。詩の中にも

大きな重いものの取去られたところに群がつて
うようよ蠢動うごめいてゐる人人
大起重機のたしかな力をみろ
その大浪のやうな運動を
その大きな沈默を
ああ大起重機の憂鬱!
ああ大起重機の怪物!

産業革命によって起こった人間一人が持つ力がどれだけ人類が手にした力の中で小さくなってしまったか。
この衝撃がこの詩には「憂鬱」として記載されています。

人間は自然を征服した!
今こそ人間は一切の上に立つべきだ
太陽も眩暈めくるめくか
ああ人間は自然を征服したか
ああ
けれど人間は悲しい
此の大起重機にその怪力を認めた瞬間から
まつたく憐れな奴隷となつた
そして蟻のやうに小さくなつた
それがどうした
それがどうした
かんかん日の照る地球の一てんに跪坐ひざまづいて此の大怪物を禮拜しろ
ああ此の憂鬱な大起重機の壯麗!
ああ此の憂鬱な大起重機の無言!

山村暮鳥はクリスチャンです。「人間は自然を征服した!今こそ人間は一切の上に立つべきだ」にはその思想を感じます。
「人間は自然を征服した」のにも関わらず「人間は悲しい」のです。「蟻のやうに小さくなつた」のです。
それは人間がアイデンティティとして持っていた「力」の喪失だと私は読んでいます。

今の時代にこの「大起重機」はLLMに置き換えて考えることもできるのではないかと思います。
LLMは「大起重機」と違い、人間のもう一つのアイデンティティであった「言葉」(あるいはそのようなもの)を喋ります。

その後「それがどうした それがどうした」と続きます。一つ目の「それがどうした」は「そんなことよりも此の大怪物を禮拜しろ」、二つ目のそれがどうしたは「人間は一切の上に立つべきだ」にかかっているような気がします。
「人間は一切の上に立つべき」これは先頭の詩にあった「人間の強さに生き」ることなのではないかと思います。

機械が力も言葉も操るようになった今、「人間」はなんなのか、自分は「人間」としてどのように生きるのか、とても考えさせられながら読んでいます。

(つづく)

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