3月に読んだ4冊のこと
3月に読んだ4冊のこと
3月は花粉のせいで外に出る気力がなくて、そのぶん本を読んだ。いつもより少しペースが早かったのは、たぶんそのおかげ。ありがとう花粉。いや、ありがたくない。
うちは在宅勤務の日が週に二日あって、その日はリビングの窓際の椅子で読む時間が増える。窓の外で何かが咲いているのを横目で見ながら、こちらは目薬をさして本を読んでいる。それでも本を読んでいる時間は、たぶん3月のいちばん落ち着いている時間だった。
小川洋子『博士の愛した数式』(再読)
何度目かわからない再読。今回は「ルート」のまなざしに意識が向いた。前に読んだときは博士の孤独ばかり追いかけていた気がする。同じ本なのに、読むたびに違う場所が光る。それが再読のおもしろさだと思う。
うちの三毛(なつめ)が膝に乗ってきたタイミングで、ちょうど博士が数字の話をする場面だった。なつめの体重は4.2kg。素数ではないけど、博士なら何か素敵なことを言ってくれそう。
学生のときに最初に読んで、就職してから一度読み返して、今回が三度目。20代のはじめに読んだときは「美しい話だな」で止まっていたのに、いまは家政婦さんの台所の描写でいちいち立ち止まってしまう。生活の手触りのある場面に弱くなっているのかもしれない。本を閉じたあと、うちの台所に立って、なんとなくジャガイモを蒸した。理由はないけれど、そうしたくなった。
夕木春央『方舟』
話題になっていたのは知っていたけど、ミステリはあまり読まないので後回しにしていた。結論から言うと、読んでよかった。最後の数ページで、それまで積み上げてきたものが全部ひっくり返される感覚。あの読後感はしばらく引きずった。
帰りの電車で読み終えてしまって、降りる駅を一つ乗り過ごした。慌てて反対側のホームに渡って戻る間も、まだ頭のなかでさっきの結末を反芻していた気がする。家に着いてもしばらく晩ごはんを作る気にならず、ソファでなつめを撫でていた。なつめは何も知らない顔で喉を鳴らしていた。
ミステリを敬遠していたのは、たぶん「考えながら読む」のが苦手だからだと思う。でもこの本は、考えるというより、最後にすべてを持っていかれる種類の本だった。受け身でも届くものがあるのを知った。次は誰かに薦められるくらい、もう少しこのジャンルを読んでみたい。
岸本佐知子『ねにもつタイプ』
エッセイ集。翻訳家の岸本さんの日常が、独特の角度で切り取られている。「わかる」と「わからない」の間をふわふわ漂うような読み心地で、通勤電車の中で読むのにちょうどよかった。
一編が短いので、駅から会社までの信号待ちでも一つ読める。文具屋に寄り道して万年筆のインクを買ったら、その日の帰りに岸本さんも文具の話を書いていて、うれしくなった。買ったのはペリカンの4001のターコイズで、職場のノートに書くには明るすぎるかなと思いつつ、結局そのまま使っている。
岸本さんの文章は、何かを説明しようとして全然説明していない瞬間があって、それが好きだ。仕事で書く文章はどうしても「伝える」方向に寄ってしまうから、こういう「伝わらないままでいい」文章を読むと息ができる。週末にもう一度、好きな一編に栞を挟み直した。
江國香織『きらきらひかる』
これも再読。学生のときに読んだのとは受け取り方がだいぶ変わっていた。あの頃は笑子と睦月の関係をロマンチックに読んでいたけど、いまはもう少し複雑に感じる。生活を一緒にするって、きれいなだけじゃないよな、と思いながら読んだ。
なつめは江國さんの本を読んでいるときだけ、なぜか足元に来る。表紙の色が好きなのかもしれない。
うちの近所に住んでいる学生時代の友人と、ちょうど先週カフェで会った。彼女はパートナーと一緒に暮らし始めて半年で、「思っていたより、些細なことで揉める」と笑っていた。その話のあとにこの本を読み直したから、笑子と睦月のやりとりがやけに具体的に響いた。物語のなかの関係も、現実の関係も、たぶんいちばん難しいのは「いっしょにいる時間そのもの」をどう続けていくかなんだろう。
4冊のうち2冊が再読。新しい本を読むのも好きだけど、知っている本にもう一度会いに行く時間も大事にしたい。本は変わらないのに、自分が変わっているからこそ、再読は毎回ちがう体験になる。
4月は積読を少し崩す予定。棚の右端にある海外文学ゾーンが、そろそろ限界を訴えている。トーン・モリスンの未読が二冊、買ったまま開けていない上下巻も一組。なつめが本棚の前で寝そべるとちょうど通せんぼになるので、彼女が散歩に出ている隙に手を伸ばしたい。