取引先の仕様変更を、最後まで断らずに受けてきた理由
取引先の仕様変更を、最後まで断らずに受けてきた理由
主要取引先A社の購買担当が、4月の人事で交代するという連絡が来た。
これまでの担当だったTさんは、私が二代目を継いだ20年前から、つまり親父の代から数えると30年以上、うちの工場の窓口だった。後任は40代の方らしい。引継ぎの打ち合わせを来週する。
事務所でその連絡をプリントアウトして、机の脇に置いたまま、しばらく動かなかった。
TさんはA社の中で例外的に長く同じ部署にいてくれた人だった。仕様変更の話を持ってくるとき、必ず「無理だったら断ってください」と前置きをして、それでも私はほとんど断らなかった。30年で何件あったかは数えていないが、たぶん100件は超えていると思う。
その「断らなかった」という事実を、後任の方にどう引き継ぐべきか、ここ数日考えている。
仕様変更には大きく分けて3種類ある
うちが受けている仕様変更は、大きく分けるとこんな感じだ。
| 種類 | 内容 | 頻度 |
|---|---|---|
| 図面修正型 | 公差や寸法を後から変更する | 月1〜2件 |
| 材質変更型 | SS400で出した見積もりをSUS304に変える等 | 半年に1件 |
| 数量・納期変更型 | ロット倍増、納期を1週間前倒し等 | 月1件 |
このうち、図面修正型は、たいていの場合「もう加工が始まっている」状態で連絡が来る。
公差が0.05mmから0.01mmに変わったとか、面取りの指示が増えたとか、もう削ってしまった素材を使い切ってから次から変えたい、という話を、現場の進捗を聞かれて答えたあとに切り出される。
普通の感覚で言えば、これは断っていい話だ。
というより、断るべき話だと思う。後から仕様を変えるのは、図面を描いた側の都合で、削っているこちらに直接の責任はない。教科書通りに言えば、追加費用と納期延長を要求していい場面だ。
それでも、私はこの30年、ほとんど断ってこなかった。
「断らなかった」のは、たぶん3つの理由が重なっている
ひとつ目は、親父の代からの暗黙の取り決めだ。
うちは創業55年で、A社との取引は親父が30代の頃に始まっている。最初の頃、親父は単価交渉ができる立場ではなかった。A社が大きくて、うちが極端に小さかったからだ。代わりに、A社は仕事を切らさず出してくれて、支払いが遅れたことが一度もなかった。仕様変更を呑む、というのは、親父の世代でできた均衡の一部だったと思う。
ふたつ目は、Tさんという個人との関係だ。
Tさんは仕様変更の話を持ってくるとき、必ず最初に「申し訳ないけれど」と言った。そして必ず、その変更が必要になった社内の事情を、簡単にだが説明してくれた。設計部が言ったとか、顧客の検査基準が変わったとか、その種の話だ。説明があると、こっちも納得しやすい。納得して受けたものは、不思議と原価が膨らんでも気にならない。
みっつ目は、私自身の職人気質だと思う。
これは認めにくいことだが、断ると、削り直しの仕事が他所に流れる可能性がある。流れてしまえば、その削り直しを誰がどう仕上げたかを、私は確認できない。「公差0.01mmの内径を、うちなら間違いなく出せる」という自負があるから、削り直しの仕事を他所に渡したくない、という意地があった。これは表向きの理由には絶対しないが、自分の中で正直に書くと、たぶん一番大きい。
仕様変更を呑む代わりに、暗黙の値段が動いていた
ただ、断らなかった分、A社の側もこちらに対して、図面に書かれていないところで配慮をしていたと思う。
例えば、月次の支払いサイトは協定書上は60日だが、うちには45日で振り込まれていた。
これは何かを取り決めた結果ではなく、TさんがA社の経理に話を通してくれていたらしい。私が知ったのは10年経ってからで、Tさんが酒の席でぽろっと言って初めて分かった。
それから、新規の発注をする前に、Tさんは必ずうちの稼働状況を聞いてきた。
他の協力工場には、稼働を聞かずに発注を流していたらしい。これも数年経ってから知った。仕様変更を呑む代わりに、うちの工場が回るような出し方を、Tさんの側で調整してくれていた、ということだ。
つまり、私が30年「断らない」を続けてきたのは、Tさんの側でも「断らせない」だけのことをしてくれていたからで、これは図面と見積書には絶対に出てこない経済だった。
引継ぎが心配な理由
後任の方は、まだお会いしていない。
たぶん優秀な方なのだと思う。A社の購買は採用が厳しいと聞いている。ただ、Tさんが30年かけて作ってきた「うちの工場との暗黙の取り決め」は、引継ぎ書類には書かれていないはずだ。
支払いサイトが60日に戻ったとして、それは契約通りで何も悪いことではない。
発注前にうちの稼働を聞かない判断も、合理的だ。仕様変更の連絡が「申し訳ないけれど」なしで来るのも、若い担当者なら自然なことだろう。
ただ、その時に私が、これまで通り「断らない」を続けるかどうかは、正直まだ分からない。
30年続けたものを、人が変わったから今日からやめる、というのは、こちらの都合としても気持ち悪い。かといって、暗黙の値段がなくなったあとも同じ条件で受け続けるのは、たぶん経営判断としては間違っている。
親父なら、どう答えたか
事務所で連絡のプリントを見ながら、親父ならどうしたか、を少し考えた。
親父は寡黙な人で、仕事の判断について私に説明したことが、ほとんどない。ただ、A社の前任の前任の購買担当が変わったとき、親父は1ヶ月くらい不機嫌だった、というのを覚えている。これは私の母から聞いた話だ。本人は何も言わなかった。
たぶん親父も、こういうとき何をどう判断するか、迷う側の人だったのだと思う。
「断らない」を貫いてきた人にも、本当は揺らぎがあった。それを表に出さなかっただけで、夕飯のあと、何時間かじっと座っていることがあった、と母が言っていた。
私も今、似たような夜を過ごしている。
来週の引継ぎの席で、私が新しい担当の方にどんな顔をするか、まだ決まっていない。たぶん、最初は普通に挨拶をして、これまでの仕様変更の経緯を簡単に説明して、それで終わると思う。「断らないでやってきた」とは、こちらから絶対に言わない。それは押し付けがましいし、新しい担当の方が判断することだ。
ただ、もし最初の仕様変更の電話で、後任の方が「申し訳ないけれど」と言ってくれたら、私はたぶん、また断らないと思う。
それが正しい経営判断かどうかは、自分でもよく分からない。