古い町並みで、建物の年代を路地の角度から見立てる癖
古い町並みで、建物の年代を路地の角度から見立てる癖
古い町並みを歩くとき、建物を見るよりも先に、路地の曲がり方を見ている。
たぶん仕事の癖だ。意識して身につけたものではない。気がついたらそうしていた。
後輩の T さんに「どうやって古い町を見るんですか」と先月聞かれて、うまく答えられなかった。
だから、自分のなかで言語化してみる。あとで T さんに渡せるかは別として、まずは書いてみる。
角度1:道が直角に交わっているか
新しい町は道が直角に交わる。古い町はそうでない。
これは身も蓋もない話で、土地区画整理が入った時期が分かりやすく出る指標だと思う。
戦後の区画整理を抜けてきた町は、街区が長方形に近い。直角ではないとしても、角度の振れがほぼ揃っている。
明治から昭和初期の地割りが残っている町は、角度がばらつく。30度や40度の角度で道が斜めに刺さってくることもある。
谷中や神楽坂の路地で道がジグザグするのは、もともとの地割りが斜面や水路に沿って引かれていたからだ。
建物は何度も建て替わっていても、地割りは生き残っている。建物より道のほうが、ずっと長生きする。
これに気づいてから、Google マップを引きで見たときの感じが変わった。
道がぐねぐねしている地域に色がつくようになった。
角度2:道幅の不揃いさ
二つ目の手がかりは道幅だ。
古い町は道幅が場所によって違う。1.5mのところもあれば、突然3mになるところもある。
これは荷車の通り道として作られた幅の名残のことが多い、と先輩の F さんに教わった。
人ひとり通れればいい路地、大八車が通れる路地、馬や牛が通れる道。それぞれ幅が決まっていて、町の機能に応じて使い分けられていたらしい。
道幅が変わる境目には、たいてい何かが立っている。社、地蔵、井戸の跡、あるいはマンホールの蓋。
歴史的な境界が、いまも別の何かに置き換わって残っている。
T さんを連れて谷中を歩いたとき、私が地蔵の前で立ち止まったら、後ろから「なんで止まるんですか」と聞かれた。
うまく説明できず、「ここで道が変わるから」とだけ答えた。彼はそれで分かったような顔をしていたけれど、たぶん本当には伝わっていない。次回、もう少しちゃんと話す。
角度3:建物が道に対してどう座っているか
三つ目が、いちばん見ていて楽しい部分かもしれない。
建物が道に対して正面を向いているか、斜めに座っているか。
新しい建物は道に対して正面を向ける。設計するときも、敷地境界線に平行に建てるのが基本だからだ。
ところが古い建物は、道ではなく、別のものに向かって座っていることがある。
南向き優先で建てた家。風の通る方向に開口を取った家。隣の蔵に合わせて軒を出した家。
道が後から付け替えられた町では、建物だけが昔の向きを保っていて、道と建物が斜めに食い違う。この食い違いを見つけると、その町の歴史がひとつ見えた気がする。
ただし、これは木造の話で、煉瓦造や RC は別の話になる。煉瓦造は建てるときの基準が違うから、道との関係はもっと厳格だ。
このあたりの細かい話は、T さんにはまだしていない。順番がある気がする。
何を見ているのか、書きながら気づいた
ここまで書いていて、自分が見ているのは「建物の年代」ではないのかもしれない、と思った。
正確には、もう存在しない建物の輪郭を、いまの道の形から逆算している。
道が斜めに曲がっているとき、私は「ここに昔、何があったか」を考えている。
水路だったのか、塀だったのか、別の家の角だったのか。すでに消えた境界が、いまの道の角度として残っている。
建物が消えても、地割りは残る。地割りは道として読める。
だから古い町を歩くというのは、消えた建物の記憶を、足で辿る作業に近いのだと思う。
これは T さんに伝えたいけれど、たぶん私の言い方では伝わらない。
彼が自分で歩いて、自分で気づくのを待つしかない気がする。
次回の事務所散歩は、谷中ではなく根津のほうに行こうかと考えている。
根津のほうが地割りの振れがもっと大きい。T さんを連れていくなら、そちらのほうが「角度」を見せやすい気がする。
来月、声をかけてみる。