初めて重版になった本を、書店で一冊買って帰った

初めて重版になった本を、書店で一冊買って帰った

重版になりました、って編集長に言われたとき、私はキッチンで麦茶を注いでた。
コップを置いて、「ありがとうございます」って言った。あとから、なんで私がお礼を言うんだろう、って思った。重版を決めたのは私じゃないし、書いたのは担当のKさんで、私はそのうちのちょっとを手伝っただけだ。でも、ほかに言うことが思いつかなかった。

担当した本が重版になったのは、入社して2年目の去年の秋。Kさんのエッセイ集としては最初の一冊だった。初版3500部が2ヶ月で動いて、追加2000部が決まった。出版社の規模だとそんなに大きい数字じゃないけど、私にとっては、自分のクレジットが奥付に入ってる本が初めてもう一度刷られるっていう、ちょっと特別な出来事だった。

書店で見たのは、3週間後

仕事帰りに、阿佐ヶ谷の駅前の書店に寄った。とくに目的はなくて、新刊の棚を見るのが習慣になってる。エッセイのコーナーに足を向けたら、その本が平積みになってた。

そこで初めて、ああ、重版って本当に起きてたんだ、と思った。

編集長に言われたときも、奥付を直したときも、印刷会社から見本誌の追加分が届いたときも、なんかぼんやりしてた。何回も「重版」って言葉に触れてたのに、書店の棚で平積みになってるのを見るまで、自分のなかであんまり実感がなかったというか。事務作業っぽく流してた気がする。

平積みの5冊を、しばらくぼーっと見てた。となりの棚にはその月の話題作が同じ平積みで並んでて、ぜんぜん負けてない高さに本が積まれてた。背の薄いエッセイで、5冊重ねても6cmくらいなんだけど、なんかちょっと高く見えた。

それで、なぜか、一番下の1冊を抜き取った。

自分の本を買う、っていうこと

そのままレジに持っていった。会計の間、店員さんは私の顔を見なかった。当たり前。私は著者でも書店員でもなくて、ただの客だ。
紙のカバーをかけてもらって、店を出た。本はカバンに入れないで、ずっと手に持って駅まで歩いた。同じ本は家にもう3冊ある。見本誌で2冊、サイン本で1冊。だから4冊目を買う必要は、本当に何もなかった。

でも1冊抜き取って買ったのは、たぶん、自分のお金で買うことが「ちゃんと自分の本になる」みたいな感じだったからだと思う。会社経由でもらった見本や、著者からのサイン本では足りない何かが、レジで現金が動く瞬間にあった、というか。うまく言えないけど。

家に帰って、リビングの椅子に座って、ぱらぱら開いた。奥付のページまで来た。奥付には編集長の名前があって、私の名前はない。知ってたし、当たり前のことだ。私がやったのは、校正の進行管理と、何回かの食事会でKさんの愚痴を聞くこと、くらいだ。

それでも、自分の名前がないっていう当たり前のことを、自分のお金で買った本の奥付でわざわざ確認してる自分が、なんかちょっと変だった。

これは、嬉しい、とちょっと違う

なつめが膝に乗ってきて、ページの上を歩こうとした。指でやんわり止めて、本を閉じた。
そのとき、自分のなかの気持ちが、思ってたのとちょっと違うことに気づいた。重版が決まってから「嬉しいです」って何回も言ってきたし、自分でもそう思ってたんだけど、書店から本を持って帰って奥付を見たいまの気持ちは、嬉しいともちょっと違う。寂しいでもない。誇らしいでもない。

うまく言葉にできない。
あえて言うなら、「自分も関わってたんだ」っていうのを、お金を払って受け取り直した感じ、みたいな。初版3500部のうち、私が直接さわった原稿は1部もない。なのに、棚に5冊積まれてるのを見たとき、その5冊のうしろに、自分が読んだ校正紙の山がぼんやり見えた気がした。

その校正紙のことは、Kさん本人と編集長と私しか知らない。書店で本を買っていく人たちは、誰も知らない。著者の名前は表紙にあって、私の名前はどこにもない。

これは公平なことだし、正しいことだと思う。書いたのはKさんなんだから。
でも、公平で正しいことを、3週間経ったいまでも、ふと思い出して、なんか変な気分になる。

仕事の本と、自分の本

ひとつ、変わったことがある。

去年の秋までは、本は本だった。仕事で読む本も、自分のために読む本も、私のなかで同じだった。それが、あの本が重版になってから、なんとなく線が引かれた。仕事で関わった本と、ただの読者として読む本は、もう同じじゃない。

仕事で関わった本だと、原稿の頃の記憶がある。著者の癖とか、何回も書き直した一段落とか、校了の朝のものすごい眠さとか。完成した本を読んでても、その下にぼんやり過去の版が透けて見える感じがする。
自分の本は、本のかたちで初めて私の前にやってくる。読み終わったあとは私の棚に静かに立ってて、私だけがその本との時間を持ってる、っていう感じ。

どっちが楽しいかって聞かれたら、ちょっと答えに困る。仕事の本の方が面白いって言いたい気もするし、自分の本の方が純粋でいいって言いたい気もする。たぶん両方なんだと思う。
ただ、線が引かれてから、本を読む時間がちょっと大事に感じられるようになった。これは予想してなかった変化で、思ってたよりも、ずっといい変化だった。


平積みから抜き取ってきた本は、いま私の本棚の右端にある。なつめが本棚の前で寝そべってるから、しばらく手は届かない。届くようになったら、最初から読み直そうかな、と思ってる。たぶん、初めて読む本みたいに、新しく読める気がする。

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