ハードカバーで読んだ本を、文庫落ちでもう一度買い直した理由

ハードカバーで読んだ本を、文庫落ちでもう一度買い直した理由

3年前にハードカバーで読んだ本が、先月文庫落ちした。
書店の新刊台でその文庫を見たとき、「あ、出たんだ」と思ったあとで、なぜか、ふつうに買って帰った。

家にハードカバーがある。読み終わって本棚にちゃんと立ててある。ページを折った跡もあるし、付箋もまだ刺さってる。
それなのに、文庫を1冊、レジに持っていった。会計のときも自分でちょっと変だな、と思ってた。

最初は、収納のためって自分に言い聞かせてた

文庫落ちを買い直す理由として、いちばんわかりやすいのは収納だと思う。
ハードカバーは大きいし重い。本棚の容量を食う。文庫なら3冊分くらいのスペースに収まる。
うちの本棚はもう海外文学ゾーンが完全に限界で、いつ崩れてもおかしくない積読タワーがリビングの隅にできてる。だから新しく入る本のために、ハードカバーを文庫に置き換えていくのは、けっこう理にかなった選択ではある。

そうやって自分に言い聞かせてた、最初の数日は。
でも本当のところ、ハードカバーを処分する気はぜんぜんなかった。文庫を買ったあとも、ハードカバーはそのまま本棚にある。つまり収納のために買ったのなら、論理的にはハードカバーを売るか誰かに譲るかするべきなのに、それはしてない。両方ある状態が、いまも続いてる。

合理性で説明しようとしたけど、合理性で説明できなかった。

たぶん、もう一度読みたかった

これは認めるのにちょっと時間がかかったんだけど、私はたぶん、もう一度読みたかったんだと思う。
それも、ハードカバーの形でもう一度読むんじゃなくて、文庫の形でもう一度読みたかった。

うちには「再読のとき同じ版を読む派」と「再読のとき違う版を読む派」の自分が両方いる。
博士の愛した数式は新潮文庫を3回読んでる。同じ版を、何年か空けて。これは前者。
でも江國さんの『きらきらひかる』は、最初に読んだのは図書館で借りた単行本で、買い直したのは新潮文庫だった。これは後者。

その違いがどこから来てるのか、自分でもよくわからなかった。でも今回、文庫落ちを買ったときに、なんとなく見えてきた気がする。
「最初に読んだときの自分」と「いまの自分」がだいぶ違ってる本は、たぶん別の版で読みたくなる。版を変えることで、本の方も別の本になってくれるみたいな、そういう感じ。

ハードカバーと文庫は、同じ本だけど違う本

これは編集の仕事をしていると、当たり前のように知ってることなんだけど、ハードカバーと文庫は同じ本だけど違う本だ。
組版が違う。1ページあたりの文字数も、行間も、ノドの空き方も違う。文庫には文庫の解説が新しくついてることが多くて、これがけっこう本の表情を変える。栞紐がついてる文庫と、ついてないハードカバーでは、読み進める身体感覚もちがう。

たぶん本好きの人なら、別の版で読み直したときに「同じ文章なのに違って読める」経験があると思う。
脳のなかでは内容を覚えてるはずなのに、文字の組まれ方が違うと、目が文章を追うリズムも変わって、引っかかる場所もずれる。3年前にハードカバーで線を引いた一文の、文庫だと2行前のところでなぜか涙が出そうになる、みたいなことが起きる。

これは本のせいなのか、自分のせいなのか、わからない。たぶん両方なんだろうな、と思ってる。

重さと、距離

ハードカバーは重い。物理的に重い。膝の上に置いて読んでると、なつめが乗ってきたとき申し訳ない感じになる。
文庫は軽い。電車のなかで片手で持って読める。寝る前にうつ伏せで読んでも腕が疲れない。

この重さの違いが、私とその本との距離をなんとなく決めてる気がする。
ハードカバーは「居住まいを正して読む本」で、文庫は「日常のなかに連れていける本」っていう感じ。3年前に読んだときは、その本は私にとってまだ「居住まいを正して読む本」だった。新しく出会って、ちゃんと向き合いたい本だった。

それがいまは、もう少し近い距離で読みたい本になってる。電車のなかで読んだり、お風呂上がりに読んだり、なつめが膝にいるあいだに片手で読んだりしたい本。だから文庫を買った、っていうのが、たぶんいちばん正直な理由なのかもしれない。

解説が新しくついてた

文庫を開いたら、巻末に新しい解説がついてた。書いてるのは私も名前を知ってる作家さんで、ハードカバーの解説とは別人だった。
解説を先に読むのは行儀が悪いって言う人もいるけど、私はだいたい先に読む派。今回も先に読んだ。

その解説のなかで、「この小説は刊行から3年経って、ようやく作品の輪郭が見え始めた」みたいなことが書いてあって、ちょっとはっとした。
書いた本人や担当編集者じゃなくて、3年経ってから読み直した別の作家が、その本の輪郭を言葉にしてくれてる。本って、書き終わってからも形が変わり続けるんだなって思った。

私が3年前に読んだあの本と、いま私が文庫で読み直そうとしてるあの本は、本としては同じだけど、世のなかでの位置がちょっと違ってる。それを、たぶん私は自分の手で確かめたかったんだと思う。

結局、買い直した理由は

ぜんぶ書いてみたけど、結局、買い直した理由は1つに絞れなかった。
収納のため、もう一度読みたいから、版の違いを味わいたいから、距離を縮めたいから、新しい解説を読みたいから。たぶん全部少しずつ本当で、どれかひとつが特別に大きい、っていうわけじゃない。

でも、こうやって書いてみてわかったのは、「同じ本をもう一冊買う」のは、けっこう個人的な行為だっていうこと。
誰かに「なんで?」って聞かれたら、たぶん答えられない。「文庫が出たから」って答えるしかない。でも本当は、ぜんぶ書いてみないと整理できないくらい、いろんな理由が混ざってる。

これは私が変なのかもしれない。本好きの人はみんなそうなのかもしれない。聞いてみないとわからない。


文庫はいま、机の端に置いてある。表紙の絵がハードカバーとちょっと違ってて、こっちのほうが好きかもしれない、と思ってる。
なつめが文庫の上に座ろうとしたから、慌てて避難させた。読むのは、なつめが寝てくれてからになりそう。

0
0
0