全国の酒蔵を見学して、自分の蔵に持ち帰った1つのこと

全国の酒蔵を見学して、自分の蔵に持ち帰った1つのこと

春の上槽が一通り終わって、蔵のなかが静かになった。
昼間に少し時間があったので、事務所の書棚から見学ノートを取り出した。10年分くらい溜まっている。表紙に「他蔵見学」と書いた大学ノートが5冊。中はほとんど誰にも見せたことがない。

30代後半から、年に2回か3回、他蔵を見せてもらうようになった。
夏場の蔵が動いていない時期に1回、仕込みが終わった春に1回。多い年は秋にもう1回挟む。蔵元の集まりや、東北の蔵から声をかけてもらうことが多い。最初は何のために行っているのか、自分でもよく分かっていなかった。

最初は、技術を盗みに行っていた

正直に書くと、最初の5、6回は技術を盗みに行っていた。
うちの蔵で麹の破精込みが安定しない時期があって、ほかの蔵がどうやって室を仕込んでいるのか、見て覚えて帰ろうとしていた。室の温度の上げ方、種麹のまき方、引き込みのタイミング。ノートに細かく書いた。

帰ってきて、自分の蔵で同じことをやってみた。
うまくいかなかった。種麹のまき方を真似しても、麹の破精込みは変わらなかった。私の手の動きが拙いせいかと思って、何回かやり直した。やり直しても、変わらなかった。

そのときは、自分の腕が足りないせいだと思っていた。
いま思うと、それは半分しか合っていない。腕の問題というよりも、私の蔵と、見学先の蔵では、麹室の構造も、米の癖も、水の硬度も違う。よその蔵の手順は、よその蔵の条件に合わせて最適化されたものだ。それをそのまま私の蔵に持ち込んでも、合わない。これに気づくまで、何年かかかった。

秋田の蔵の麹室を見た翌朝

転機になったのは、5年か6年前に秋田の蔵を見学させてもらったときだ。
その蔵は私より少し年上の杜氏が仕切っていて、麹室の作りが独特だった。室の中に古い杉の柱が一本立っていて、その柱だけは絶対に動かさないと言われた。新しい室を建てるときも、その柱だけは前の室から持ち越して、同じ場所に立てる。

「なぜですか」と聞いたら、「分からない。ただ、外すと麹の出来が変わる」と返ってきた。
私は当時、それを半分は信仰だと思った。半分は、何か理屈があるはずだと思った。説明できないなら、参考にはならない。ノートには「杉柱、信仰的判断、再現不可」とだけ書いて帰った。

翌朝、自分の蔵に戻って、麹室に入った。
そのとき、初めて自分の麹室の中に「説明できないけれど効いているもの」が見えた。私の蔵の麹室の左奥に、室の改装で外し損ねた古い梁が斜めに残っている。新室にしたときに、本当は撤去するつもりだった。なぜ残したか、自分でも覚えていない。ただ、その梁の下では麹の発酵がいつも少し緩い。私はその場所を経験で避けて、麹米を置く位置を調整していた。

秋田の杜氏が「外すと麹の出来が変わる」と言った意味が、自分の梁を見て初めて分かった。
あれは信仰ではなかった。20年かけて自分の蔵の癖を体で覚えた結果、説明できないが効いている要素を、本人が認知している、ということだった。私は秋田の蔵で「再現不可」と書いて捨てかけたものを、自分の蔵で同じ形で持っていた。

それから、持ち帰り方が変わった

そこから、他蔵の見学に行くときに、ノートに書く内容が変わった。
手順や数字は前より書かなくなった。代わりに、その蔵の杜氏が「これは説明できないが、変えるとダメだ」と言った場面を書き留めるようになった。新潟の蔵の槽口の高さ、広島の蔵の酛の混ぜ方の手首の角度、京都の蔵の上槽後の槽出しの待ち時間。どれも、本人が理屈で説明できないと言ったものだった。

ノートに書いて、帰ってから自分の蔵を歩く。
新潟の槽口の高さの話を聞いた翌日、自分の蔵の槽口の前に立って、ここの高さは私のどこから決まっているのか、と考えた。考えても、答えは出ない。ただ、考えた経験そのものが、自分の蔵を一段細かく見るようになるきっかけになる。

私が他蔵から持ち帰っているのは、技術ではなかった。
他蔵を見て、自分の蔵に戻ったときに、自分の蔵が初めて見えるようになる。それが見学の本当の効用だった。見えるようになると、いま自分が当たり前に動いている動作の中に、説明できないが効いているものがいくつあるか、数えられるようになる。

いま、受け入れる側として

最近は、見学を受け入れる側になることも増えた。
若い杜氏や、これから蔵を継ぐ予定の人が、声をかけてきて、何時間か蔵の中を案内する。私は質問されたことには答えるが、自分から「これが大事です」とは言わない。それを言うと、彼らはそれを信じて自分の蔵で真似する。真似してもうまくいかない、というところまでが、見学の効用の半分だからだ。

その代わり、彼らが「なぜこの位置に置くんですか」と聞いてきて、私が答えに詰まる場面があったら、それは書き留めておくよう勧めている。
私の答えに詰まる場所が、私の蔵で20年かけて染みついた癖の場所だ。それを言葉にできなくても、書き留めておけば、彼らが自分の蔵に戻って何かを見るときに、引っかかってくれるかもしれない。

これが私の、20年の見学の結論に近い。
技術は持ち帰れない。持ち帰れるのは、見方だけだ。そして見方は、人に渡せない。渡せるのは、見方を獲得するきっかけになる引っかかりだけだ。

持ち帰った1つのこと

タイトルに「1つのこと」と書いたので、最後に1行で書く。
全国の蔵を見学して、私が持ち帰ったのは、自分の蔵に戻ったあとで自分の蔵を見る時間だった。それ以上のものは、持って帰れなかった。


ノートを書棚に戻して、麹室に行った。
仕込みが終わったあとの空の室は、いつもより少し冷えている。左奥の梁の下に立って、しばらく天井を見ていた。来期もここの位置に麹米は置かない。なぜ置かないかは、いまだに説明できない。

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