大正の絵図と現在の地図を重ねて、消えた水路を1本歩いてきた

大正の絵図と現在の地図を重ねて、消えた水路を1本歩いてきた

土曜の午後、半日だけ空いたので、ずっと気になっていた水路跡を歩いてきた。

きっかけは先月、収蔵庫の地図棚を整理していたときに出てきた1枚の絵図だ。大正8年、県東部のとある村の字図。整理番号は付いていたが、台帳の記述が薄く、長らく死蔵されていたものらしい。広げてみると、いまの集落のかたちとほとんど変わらない道筋に、もう1本、別の線が走っていた。村の北側から南へ、ゆるい弧を描いて流れている。明らかに用水路だ。

現在の地図にこの線はない。

絵図と国土地理院の地図を重ねる

平日の夜、自宅で絵図をスキャンして、現在の地理院地図の上に重ねた。神社の鳥居と橋の位置を合わせると、絵図のスケールがだいたい揃う。位置合わせの基準点は3つ取った。神社、村役場跡の道祖神、川の合流点。誤差はあるが、字図の精度を考えれば十分だ。

重ねてみると、水路は現在の住宅地のなかを横切っていた。地理院地図には等高線が走っているが、その水路の経路には、わずかに凹んだ筋がある。航空写真でも、夏の畑の中に、周囲より緑の濃い帯が見える。これは現地に行ってみないと分からない、と思った。

土曜の朝にフィールドノート(いつものA5のリングノート)と、絵図のプリント、コンパスを持って家を出た。

現地は、絵図より地形のほうが雄弁だった

最寄りの駅から徒歩で20分。最初に立った場所は、絵図上で水路が村に入ってくる地点だった。いまは普通の県道で、両側にアパートと畑が並んでいる。何もないように見える。

ただ、よく見ると道のすぐ脇が低い。15センチか20センチくらい。アスファルトの段差にもなっていない、なだらかな落ち込みだが、確かに片側が低い。コンパスを取り出して、絵図の水路の流向と地形の傾斜を照合した。一致する。水路は埋められたが、地形は嘘をつかなかった。

そこから1キロほど、絵図の線をなぞって南へ歩いた。途中で2度、はっきりした「窪み」に出くわした。1か所は誰かの家の裏庭で、もう1か所は児童公園の縁。公園の縁は明確で、コンクリートの擁壁にわずかな段差がある。これは元の水路の側面を踏襲して整地したのではないか、と思った(あくまで推測)。

民家の塀に古い石組みが残っているのも、2軒だけ見つけた。隣の塀はブロックなのに、ここだけ野面積みっぽい石が混じっている。たぶん水路の護岸石を、塀の基礎に転用したのだろう。確証はないが、こういう転用は珍しくない。

ノートに「石組みの転用、要再訪。光のあるときに写真を撮り直す」と書いた。

集落の南端で

水路の終点は、絵図上では本流の川に合流していた。実際に行ってみると、合流点と思われる場所は1980年代に整備された護岸工事で完全に上書きされていて、何の痕跡もない。コンクリート三面張りの川と、ガードレールがあるだけだ。

ここで終わるか、と思った。

地元の年配の方が犬を散歩させていたので、思い切って声をかけてみた。「この川のところに、昔、別の小さな水路が流れ込んでいたって聞いたことがありますか」と聞いた。緊張する。展示解説のときは平気で人前で話せるのに、見知らぬ人に話しかけるのは何年やっても苦手だ。

その方は少し考えてから、「うちの祖父の代までは、ここに細い水路があったって聞いたよ」と言った。「子供のころに埋め立てた工事の話を、親父がしてた気がする」と。年代までは覚えていないが、戦後しばらく経ってから、たぶん高度成長期だろう、とのことだった。

これは聞き取り資料として使える種類の話ではない(裏付けが乏しく、口頭での伝聞)。でも、絵図と地形だけでは届かない時間の層を、その方の一言が補ってくれた。お礼を言って、ノートに会話の概要だけ書いた。

帰宅後、絵図にもう一度戻る

家に帰って、フィールドノートと絵図を並べた。歩いた経路にマーカーを引きながら、気づいたことを書き加える。

  • 全長およそ1.2キロ、絵図の縮尺と現地の歩行距離はほぼ整合
  • 確認できた地形痕跡は4か所、転用石組みは2か所
  • 公園の縁の擁壁、合流点の護岸工事、住宅地の整地、いずれも昭和後期の改変と推測される
  • 戦前の絵図と戦後の地形改変の間に、字図に残らない「中間の地図」がきっとあるはず

最後の1行が、いちばん引っかかる。

絵図は大正、地理院地図はいま。間が空白だ。でも、地形の変化は一度に起きたわけではない。村絵図と現在の地図のあいだに、もう何枚か、別の地図があったはずだ。たとえば昭和30年代の旧版5万分の1地形図とか、町誌に挟まっていた手書きの土地利用図とか。

来週、収蔵庫の地誌コーナーを漁ろうとメモした。県史編纂のときの中間資料が、たぶんどこかにある。

ひとつ、思ったこと

歩く前は、「絵図の答え合わせをしに行く」つもりだった。絵図に描かれた水路が、本当にここを流れていたのかを確認しに行く、という気分。

歩いてみると、答え合わせは半分しかできなかった。残りの半分は、地形と石組みと、知らない年配の方の記憶が補ってくれた。絵図は1枚の証拠でしかなくて、それだけでは過去は復元できない。証拠を持って現地に行って、現地の声を借りて、ようやく時間が立ち上がってくる。

これは展示の構成にも通じる、と思った(職業病かもしれない)。資料を並べるだけでは展示にならない。資料と資料のあいだに、来館者が自分の経験で橋をかけられるような余白がいる。今日歩いた1.2キロは、その余白の作り方の練習だったような気もする。


ノートを閉じて、絵図をスキャンファイルに戻した。次に同じ場所を歩くときは、季節を変えよう。夏の畑の緑の帯が、いまよりはっきり見えるはずだ。

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