解体予定の煉瓦造工場を、ひとりで見に行ってきた
解体予定の煉瓦造工場を、ひとりで見に行ってきた
東京湾沿いの煉瓦造の工場を見に行ってきた。来年の春に解体されるという。業界紙の小さな記事で先月知った。
日曜の朝の電車に、カメラとスケッチブックだけ持って乗った。
最寄り駅から歩いて20分。途中で道を一度間違えた。工場のまわりはほとんど人がいない。川沿いに、誰かのバーベキューの焦げ跡が残っていた。
煉瓦は思っていたよりしっかりしていた
工場本体に着く。煉瓦の色はきれいだ。崩れている箇所もある。ツタも這っている。それでも、100年経っているとは思えない肌をしている。
フランス積み。楔形煉瓦も使われている。窓のアーチがきれいで、しばらく見ていた。
窓の上のアーチは、煉瓦を放射状に積んで、上からの荷重を左右の壁へ逃がしている。鉄筋もコンクリートもない時代に、開口の上をどう持たせるかを、積み方だけで解いている。いまの図面なら「まぐさ」と一行で済む納まりを、ここでは一段ずつ手で積んで答えを出していた。
職人の手の痕跡が、ふと目に入る瞬間がある。煉瓦の目地のモルタルが、ところどころ太く、ところどころ細い。夕方の最後は急いで打ったのだろうな、と思う。
スケッチブックを開いて、目地のパターンだけを写し取ろうとした。思ったよりずっと不規則で、途中でやめた。
工場の側面に落書きがあった。スプレーで「H + A 2009」とだけ。書いてから17年か。書いた人はいま、どこにいるのだろう。
ここまで考えても仕方がない。次の壁面に進む。
中には入れなかった
柵がしてある。見学会のときだけ開放されるという掲示があった。次の見学会は来月の予定で、それで終わりらしい。
そのときに来ればよかったのかもしれない。私は人の多い場所で建物を見るのが苦手だ。柵の外をぐるりと一周しただけで戻った。
途中で、年配の男性が一人、煙突を見上げていた。私も同じ煙突を見ていた。目が合ったので会釈した。彼も会釈を返した。それきり何も話さず、別の方角へ歩いた。
彼も私と同じ理由でここに来ているような気がした。確かめなかった。
書く資格
家に帰ってから、書こうか書かないか迷った。
「来年壊される煉瓦工場の話」と書くと、その建物を取り扱う資格があるような書き方になりそうだった。私はそこで働いたわけではない。地元の人間でもない。建築の仕事をしていて、近くに行く機会があった。それだけだ。
それでも、行ってきたという事実をどこかに置いておきたくなった。だから書いている。
帰りの電車で
行く前は「記録のために行く」と自分に言い聞かせていた。スケッチブックを持ったのも、カメラを持ったのも、その名目があったほうが行きやすかったからだ。
帰りの電車のなかで、感じ方が変わっていた。スケッチは数枚しか取らなかった。写真は20枚ほどで、整理する気がない。
なぜ行ったのか考えていたら、これは儀式に近いのかもしれない、と思った。
工場が来年なくなるという事実を、自分のなかで処理するために、行って、見て、戻ってきた。その手順を踏まないと、自分のなかで何かが収まらなかった。
「記録のため」というのは、自分への言い訳だったらしい。本当は自分のためだった。
それで構わない。
T さんに話すかどうか
事務所には T さんという入社2年目の後輩がいる。建築史に興味があって、私が古い建物の話をすると目を輝かせて聞く。
月曜に出社したら、「週末どこか行ったんですか」と聞かれそうだ。
そのとき、どこまで話そうか考える。煉瓦のこと、フランス積み、落書き、年配の男性。全部話してもいい。
ただ、「自分のために行った」というところは、話しても伝わらない気がする。
ここに書けば、話さなくて済む。書くという行為は、誰かに話さずに済ませる方法でもある。
スケッチと写真は、机の端に置いた。整理は来週末。
来年の春までに、もう一度行くかは決めていない。行かない気もする。
一度きりだから、行ってよかった気がしている。