県内の小さな祭具を、半日かけて見に行った日曜日
県内の小さな祭具を、半日かけて見に行った日曜日
日曜の朝、車で1時間半ほど走って、県東部の山あいの集落にある小さな堂を見に行ってきた。仕事ではない。完全に個人の見学だ。
その堂のことは、3年前に県史編纂のときの資料で名前だけ知っていた。集落の名前と、奉納されている祭具の写真が1枚、図録の片隅に載っていただけ。写真の祭具は、木製の小ぶりな御幣立てで、漆が剥げて下地の木が出ていた。1枚の写真で何かを判断するのは難しいが、形が気になった。江戸後期から明治のものに見える。それ以上のことは行ってみないと分からない。
行こう行こうと思って、3年経ってしまっていた。
たどり着くまで
最寄りのインターチェンジを降りて、県道を30分ほど走ると、急に集落の規模が小さくなる。家が10軒、20軒と数えられる範囲になり、そのうち1軒の脇に、小さな鳥居が見えた。地図上で目印にしていた場所だ。
車を停めるところがなくて、少し離れた農協の倉庫の前に置かせてもらった(誰もいなかったので、念のため一言メモを車のダッシュボードに置いた)。
参道は石段が10段ほど。両脇に小さな石灯籠が2基。文化年間の年号が刻まれていた。読みづらい。コケが乗っているが、輪郭ははっきりしている。
石段を上がると、小ぶりな堂と、その横に集会所兼の建物がある。誰もいない。
祭具は、思っていたより傷んでいた
堂の中は、ガラス戸越しに覗ける構造になっていた。鍵がかかっているので入れない。当然だ。私は氏子でも親類でもない。
ガラスの向こうに、図録で見た御幣立てがあった。3年前の写真とほぼ同じ位置に置かれている。実物は写真より少し小さく見えた。高さで20センチ、底の直径が10センチくらい。
漆の剥げ方が、写真で見たときの印象と違う。写真だと「経年で剥げた」ように見えたが、実物を見ると、剥げの境目に黒い線が走っている。漆の上から再塗りをして、それがまた剥げた跡だ。何度か直されて使い続けられたものだとすぐに分かる。
これは修補の痕跡だ、と思った。
民具にも祭具にも、こういう「使い続けるための直し」の痕跡が残るものがある。指物の補強、漆の塗り直し、欠けた縁を金具で留めた跡。直されているということは、誰かにとって「直してでも使いたい」価値があったということだ。
御幣立ての脇には、小さな台座があって、土器片が1点だけ置かれていた。これは祭具とは別だろう(出土遺物が後から奉納されたもののように見える)。手のひらに乗る大きさで、表面に縄目の痕跡。弥生か、もう少し新しい時代の在地系土器の破片に見える。なぜここに置かれているのか、図録には何も書いていなかった。
集会所の方で、犬を散歩中の方と立ち話
堂の横の集会所の方で、地元の方らしき年配の男性が、犬を連れて通りかかった。会釈したら、向こうから「学生さんかね」と話しかけてきた。学生ではないが、博物館で仕事をしていてここの祭具に興味があって、と短く説明した。
その方は、この集落の出身で、子供のころからこの堂のお祭りに参加していたという。「お祭り」と言っても、いまは集落の人数が減って、夏に簡単な神事をやるだけらしい。御幣立ては、お祭りのときに堂の前に並べて使うとのこと。漆の塗り直しは、20年か30年前に、集落の宮大工さんがやってくれた、と言っていた。
「ぼろぼろだけど、使えるうちは新しいものに替えない方針なんだ」と、その方は笑っていた。「替えるとお祭りがちがうものになる気がしてね」と。
ノートに、その言葉だけそのまま書き写した。
帰り道で考えたこと
帰りの車のなかで、御幣立ての修補の痕跡を思い出していた。
博物館に並んでいる祭具は、たいてい「完品に近いもの」「保存状態のよいもの」が選ばれる。図録に載るのも、そういうものが多い。形が整っていて、写真映えするものだ。
でも、今日見た御幣立てのほうが、私のなかでは強く残っている。漆が剥げて、下地が出て、また塗り直されて、その塗りも剥げて。何度も直されて、それでも使い続けられている、という時間の積層。それは整った重要文化財の祭具にはない種類のリアリティだった。
「替えるとお祭りがちがうものになる」というあの方の言葉も、引っかかっている。これは民俗学の本に出てくる「ハレとケ」や「神聖と日常」のような枠組みでは、たぶん拾えないものだ。集落の人がその祭具に対して持っている関係性は、もっと具体的で、もっと日常に近い。
帰宅後、ノートに次の項目を書き加えた:
- 修補痕の記録は、祭具を見るときの基本観察項目に加える
- 「使い続けるための直し」の痕跡が残る民具を、いずれ企画展のテーマにできないか
- 集落の聞き取り調査をするときの「替えるとちがうものになる」発言、要メモ
最後の項目だけ、もう少し時間をかけて考えたい気がした。
おまけ
行きと帰りで2時間ずつ。現地での観察と立ち話で1時間ちょっと。たった3時間ちょっとの滞在だったが、ノートには思ったより多くのことを書いた。
来週の月曜、収蔵担当のSさんに、修補痕の記録方法について少し相談してみようと思う(Sさんは民具の保存修復に詳しい)。きっと面白い話を返してくれる。
御幣立てのスケッチは、机の端に置いた。漆の剥げの境目を、もう少し正確に描き直したい。今日の記憶がまだ新しいうちに、来週やる。